恋愛依存症だった頃、満たされていなかった頃の私は、 クリスマスが大嫌いでした。

周りの幸せそうな雰囲気が羨ましくて、 自分の不幸せと比べては卑屈になっていました。
もちろん他の人の幸せを祝福する気持ちには、なれませんでした。
そんな心の在り方だったから、幸せになれなかったのでしょうね。
(そういう気持ちを責めることは不要ですけどね)    

 

また、その頃は「クリスマスにパートナーが居ない」=「惨めで寂しい女」、
「負け犬」 なんてイメージを持っていました。
(今思えばびっくりですが、当時は真剣でしたよ)

 

だから、クリスマス前にはよく合コンに行ったり友達に声をかけたりしていたような気がします。  
もちろんそんな「自分の足りなさ」を「彼氏」という存在で埋めようとする試みは、
ことごとく失敗に終わりました。

 

クリスマス前にちょっと高価なプレゼントを買ったのに直前に振られて、 イブは大泣きして過ごした年もありました。  

「愛が足りない」という心の中を、
「愛が足りない」現実としてきちんと見せつけられていたものです。    

 

たまたま彼氏がいるクリスマスであっても、幸せではありませんでした。
その頃の私は、愛に「目に見える形」を求めていましたし、
自分の描く「愛の形」に当てはまるものでなければ、満足できませんでした。

 

プレゼントが安ければ、「私の価値が低いんだ。私のことそんなに好きじゃないんだ」とか、
イヴに会えなければ、「私は二の次なんだ。大切ではないんだ」という風でした。

だから、どんなにパートナーが頑張ってくれても、 満足できるクリスマスを過ごせたことはありませんでした。    

 

愛に形を求めてしまうと…
それ以外の愛がすべて手のひらからこぼれていき、 受け取ることは出来ません。

自分が「愛が不足している」、「愛される価値なんかない」…
そういう思いを持っていると、
心の中にぽっかり穴が開いているような状態になってしまい、
どんなに愛を注いでもらっても受け取ることは出来ません。  

 

「自分は愛される価値がない」、
「誰からも愛されない」、
「こういう形でないと愛ではない」 等の思いは、
心を「ザル」のようにしてしまうようです。    

「人の幸せが羨ましい」という思いを手放すには、 自分が幸せになることが大切です。
そして、自分の幸せを外に探したり、誰かの幸せと比べることを 辞めるという決断が必要になってきます。     

 

「自分は愛されない」という現実から脱出するには、
まずは与えられる愛に気づくこと(男女の愛など限定せず)が大切です。

そして、周りから自分自身から…「愛を受け取る」と決めます。
この決断は大きな大きな一歩になります。

愛に気づき、愛を受け取る…
最初は少しずつでも良いので、愛で満たされていることを受け入れます。

ふと…心の奥からあふれてくる愛や喜びを感じるようになるのではないでしょうか。

そうして自分自身が「愛される」「愛を受け取る」ことができるようになって初めて、
本当に誰かを「愛すること」ができるようになるのだと思います。

 

心の中に「空っぽ」があると、欠乏感を補うために「愛を奪おうと」するでしょう。

心の中が満たされていると、「愛を与え、受け取る」…
そのように現実にも反映されてくるのだと思います。  

 

ふとクリスマスソングを口ずさんでいることに気づいて、 クリスマスソングが意外と好きだったこと、 クリスマスの雰囲気を楽しめている自分に気づきました。  

少し早いですが、どうかみなさまも幸せな聖夜を過ごされますように。  

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