「もしかしたら、嫌われているかも?」と、
気になることは、きっと誰もが多く経験されていることだと思います。

心配そう

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その後の自分の心の中での反応は、
①「へ~、そうなんだ」と、気にならない。
②「別にいいもん。私も嫌いだもん」と、自分も相手を嫌いになる。
③「どうしよう」と思い悩む。
の3つくらいのパターンに分かれると思います。

①は、問題にならないのですが、
今日は②のパターンについて、考えてみます。
(③については、また改めますね)

 

②相手に嫌われているなら、私も相手を嫌いになる。または元々嫌い。
私はこのパターンをよく選択していたように思います。
最近もそのパターンにはまりそうになっていました。

 

「あの人、私のこときっと嫌いなんだよなぁ。
でも、あの人だって、~だったり、~だし。私もあんまり好きじゃないんだよねぇ」
などと、相手の悪いところを思い浮かべては嫌いになろうとしていました。

 

ふと、「あれ?”あの人のことが嫌い”は、私の本当の想い?」と引っ掛かり、
自分の想いに向き合ってみました。

どうして、このような想いになるのか?

すべての場合がそうとは言い切れませんが、
心理学的には防衛機制の「合理化」であったり、
フェスティンガーの「認知的不協和理論」などで説明することができます。
どちらもイソップ童話の「酸っぱい葡萄」というお話に例えられることがありますが、
どうしても手に入れることのできなかった葡萄に対して、
「どうせこの葡萄は酸っぱいんだろう。誰が食べてやるものか」とキツネは考えたという結末です。

 

このキツネさんのことを思い出しながら…
「私もあの人のこと嫌い」は、本当の想いではなく、
私は「あの人のことが好き」という想いを隠すものだったということに気づきました。
「私はあの人のことが好きなのに、私は嫌われてる」というのは辛いから、
無意識に本当の想いを隠してしまったのだと思います。

 

例えば、怒りの感情の奥には「悲しみ」などの本当の想いが隠されていることが多くあります。

「表面的な想い」がすべてではないということ、
また「本当の想い」に気づかないということは、
無意識であれ「自分を偽っている」ということになり、
しんどさやもやもやを抱えることになります。

 

私たちは自分の想いの奥の方を見ることを怖がってしまったり、
目を伏せてしまう事が多くあります。
でも、実際には「本当の想い」に気づくことで、楽になれることも多いのです。

 

今回も事実(私はあの人が好き。あの人は私を嫌い)を認めることが苦しそうに見えますが、
実際には受け入れることで、とてもすっきりして楽になりました。

 

振り返ると、私は「親のことが大嫌い」と思いながら、ずいぶん長い間、生きてきました。
でも、私の深い深い部分では、親のことを愛していたことに気づきました。
(ごく最近のことですが)
私は「十分に愛されていない」と思っていたので、今回の件と同じように、
「本当の想い」をずっと偽ってきたのだと思います。
そのことに気づいてから、ずっとずっと楽になりました。

親をゆるすこと、
そして親のことを嫌悪してきた自分自身をゆるすことができたのです。

 

他にも苦手な上司が居て、辛い思いをしたこともありましたし、
「大っ嫌い!」と、当時は思っていましたが、
今思うと、必死で嫌いになろうとしていただけなのかなと気づきます。

 

ついつい「自分の本当の想い」から逃げたくなってしまうこともありますが、
どこか違和感を感じたり、「本当の想いかな?」と疑問を持つことがあったら、
あなたの「想い」にじっくり向いあってみてください。

 

もしかしたら、すぐには「隠された本当の想い」に気づくことはできないかもしれませんが、
自分の想いに向かい合おうとする姿勢が、
少しずつ心の扉を緩めていくことになり、
それは癒されることでもあり…
自分自身が「隠された本当の想い」を受け止めることが出来る準備が出来た時に、
「本当の想い」に気づくことができるような気がします。

 

そして、「本当の想い」を見つけることができたら、
どうかその想いをジャッジすることなく、
「そういう想いを持っていたんだね」と、認めてあげてください。
きっと解放されて、楽になったと実感されると思います。

 

今回の件に戻りますが…
私の「隠された想い」に気づいて気持ちは楽になりましたが、
相手の気持ちは自由なので、特に事実が変わるわけではありません。
でも、私の気持ちも自由なので…
(ご迷惑にならない範囲で)好きなままで居ようと思っています。

(余談ですが、相手に対する私の想いは恋愛感情ではないですよ)

キツネさん