いつも「ここ」から

ずっとずっと大切にしてきた信念、想い、考え方などなど…
「間違ってた!」、「私の勘違いだった」…
と、気づくことがあります。

 

そんな時に、
「間違ってたことを認めると、今ままでの努力と苦労が無駄になる」
「また振りだしから始めるなんて、ヤダ」などど、
過去の信じて大切にしてきたことや、
頑張ってきた行動や実績にしがみつこうとすること、
または間違っていた自分を認めることをプライドが邪魔をすることがあります。

「本当に望む方向を目指したい」という想いと、
「間違ってた」ことや過去に執着する想いが、葛藤するのです。
(未知なことへの”恐れ”も加わります)

 

これまで通り、慣れ親しんだ選択をし続けることも自由です。
「間違ってる」と気づきながら、続けていくことも選択の1つです。

または本当に心が望む方向を指し示す「新しい選択」をすること、
まったく新しい景色を観るための第一歩を進むことも選択なのだと思います。

どちらを決める自由も、私たちには平等に与えられています。

 

毎瞬、毎瞬、どんな選択をすることも自由なのです。
例えどんな過去を生きてこようと、どんな間違いをしてこようと、
「いま」、新しい選択をすることができるのです。

 

いつだって違う生き方を始めることができるのです。

微笑むチワワ

 

 

近頃、ワークショップだったりセッションを受けることで、
「わ~、間違ってた!」
と、これまでの私の常識が覆ることをよく経験しています。

 

これまでなら、
「いやいや、認めてなるものか」と、
うすうす自分の間違いに気づきながら、
「本当は受け入れたい事実」の上げ足を取ろうとしたりダメ出しをしたり…
とにかく「私の実績」に執着をしていました。

 

最近は、
「私が間違ってました!」と両手を上げて降参することが増えました。

過去にしがみつくよりも、ずっとずっと楽だと実感しています。
そして、「降参!」と間違いを認めることで、
なんだか素晴らしいものを受け取ることができているような気がしています。
(言葉ではうまく表現できないのですが)

 

過去は決して無駄にはなりません。
その時に、もっとも必要な経験をすることができていて、
それはこれからもずっとずっと大切な宝物になるのです。

ただ、(私の場合は、ですが)
過去と同じ選択や経験をし続けるよりも、
より私らしく生きるために、より愛を分かち合うような選択をしたいと願うので、
過去の信念を手放して、新しい選択を受け入れていきたいと思っています。

 

また新しい選択や新しい道が目の前に現れてくる時…
もう自分にはその選択をするための準備が整っているという合図だと感じるのです。

 

もちろん新しい選択を試してみて、
「あれ?違うみたい」と気づけば、また変更すれば良いのだと思います。

自分の「こころ」に聞きながら、毎瞬、選択をしていけば良いのだと思います。

 

例えば…
私にとっては、「犬が嫌い=犬が怖い」そんな定義がありました。
犬に追いかけられて、泣きながら逃げ回った経験があるためです。

でも、「可愛いかも」と思える犬に時々出会うようになりました。
「犬が怖い=犬が嫌い」を少しずつ変更していく時期なのかなと思います。

まだまだ練習中ですが…
「犬が嫌い」を手放した「わたし」の方が、自由なのかなと思うのです。

 

あなたはどんな生き方を選択したいと願いますか。

投稿者プロフィール

藤原 加都江 
藤原 加都江 心理カウンセラー(精神保健福祉士)
豊橋カウンセリングルームの他、近隣地域でのカフェカウンセリングや訪問カウンセリングをご提供しています。またスカイプ等のオンラインカウンセリングにも対応いたします。(H30年に公認心理師試験合格)

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