知らず知らずのうちに、様々な条件付けをしていることがあります。
例えば、「幸せ」とは…
裕福であること、
誠実な相手と結婚すること、
仕事で成功すること、
自分が1番で在ること、
持ち家があること…などなど。
そんな風に条件付けをした途端に、
目標を目指し続けること、
「得たもの」を維持し続けること、
勝ち続けること、
成功し続けること…
いつも走り続け、頑張り続け、
得たものを「失わないように」と緊張感を持って生き続けなくてはならなくなります。
なぜなら、条件が崩れると、幸せまで音を立てて崩れてしまうと信じているから。
絶えず努力を続けていかないと、どこかで失敗して、不幸になってしまうと恐れているから。
この「条件付け」をよくよく見ていくと、いくつかの特徴があります。
・物理的であること
(目に見える、形があること、数字で示されること)
・他者との比較であること
・「常識」的であること
(親や教育、今の社会から信じられている内容)
これらの特徴はいずれも、時間と空間の中で生きている私たちにとっては、
維持し続けることが難しいこと、不確定なこと、永続性がなく、流動的なことです。
ということは、条件付けによる「幸せ」だけが幸せだと信じているその先には、
本当の安定や平穏、安心感を得ることは難しいのではないのでしょうか。
実際のところ…
「幸せ」は定義することも、条件付けすることも、言葉に表現することも難しく、
また他者との比較の上には安定した幸せは成り立たないのだと思うのです。
では、どこにあるんだろう?
私自身も、そんな風に探し続けた頃もありました。
それは、ご自身の中に「ある」ことを思い出すことが大切なのだと思います。
ずっと条件付けや形のある「幸せ」を求めてきた私にとっては、
訓練の必要なことでした。
(慣れてきましたが、私は現在も訓練は継続中です)
もしも今、「自分にとっての幸せが分からない。でも、幸せでありたい」と願うのなら…
外側に探し求めることを少し脇に置いて、
あなたご自身に問うこと、
「常識」を鵜呑みにしないこと、
ご自身を尊重し、大切にすること、
自分軸で生きていくこと。
ご自身との関係、ご自身の生活を丁寧に送ることを大切にしていただけますように。
あなたのお幸せを心よりお祈り申し上げます。
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