「傷つく言葉」の正体

攻撃的な言葉、汚い言葉、酷い言葉…
そういう言葉を言われた時に、嫌だなぁと思ったり、不快に感じることがあります。

 

そういう「言葉」の中に、その言葉の意味や状況以上に、
「ぐさりと胸に突き刺さった」と感じた、
強い怒りがこみ上げてきた、
あまりに悲しくて涙があふれてきた…
そんな風に、今受けた「言葉」以上に、ご自分の心が大きく乱れたり振れた場合、
ご自分の内側に目を向けてみると、傷つくことから抜け出すきっかけになるかもしれません。

 

 

種がないと、芽が出ないように、
投げかけられた言葉に大きく自分の心が揺れる場合、
ご自身の「こころ」に「なにか」がある場合が多くあります。

 

例えば、とても美しい女性が(容姿にコンプレックスを持っていない場合)、
容姿をけなされたとしても、大きく傷ついたりすることはないでしょう。

容姿をけなされて、ひどく傷ついたと感じた場合、
ご自身が容姿に対して、「どんな風に思ってるんだろう?」そんな風に向き合ってみてください。

 

私の場合であれば…中学生の頃は、容姿を貶された時に、無性に腹が立って、悲しい気持ちになったことがありました。
その頃は、よく「お母さんは綺麗なのにね」と、母親と比べられていて、容姿に強いコンプレックスを持っていました。

では、今は…?というと、容姿のことを指摘される機会自体が減りましたが、
(心にコンプレックスなどの”種”がないから、出来事にも遭遇しないのかもしれません)
皮膚の状態がひどい時に、「顔、ひどいね~」と言われても、
「ですよね~」などど、心が動揺することもなく笑って流すことが出来るようになりました。

 

または、自分自身の「~であるべき」という枠組みに外れた言葉を言われた時に、
感情が乱れるということもあります。

例えば、「相手のプライベートに踏み込み過ぎるべきではない」という強い信念をご自身が持っているとします。
さらりとプライベートについて質問された場合に、無性に強い怒りが湧いてきた…などがあげられます。

「~べき」を強く持っていなければ、淡々と「私的なことなので、お話しできません」と軽くかわすこともできるのだと思います。

やはり、自分自身の心に種(きっかけ)があるからこそ、激怒したり、大きく感情が乱されるということがあります。

差し出された花

いずれの場合においても、「傷つく言葉」を放つ相手を擁護しているわけではありません。
無理やり受容したり、許す必要ももちろんありません。

相手に配慮をしながら言葉を選ぶこと、相手の立場に立って考えてから言葉を選ぶこと…とても大切なこと、必要なことだと思います。

ただ、「人の口に戸は立てられない」という言葉もあるように、
「傷つく言葉」から完全に避けることもできませんし、
「傷つく言葉」を放つ相手をコントロールすることはできません。

(もちろんいつも自分を傷つけてくる相手であれば、離れることも大切な選択肢です)

 

 

傷ついたことで溢れてくる感情は、とても苦しいですよね。
でも、溢れてきた感情は、「心の中に種があるよ」と教えてくれているサインでもあります。

怒りや、悲しみなど、溢れてきた感情自体がどんなに辛さを伴うものであっても、
丁寧に向き合うことで、自分自身を知ること、尊重することになり、
それは自分自身の癒しにも繋がっていくものだと思います。

 

 

いつも特定の「傷つく言葉」等のキーワードになるようなことや、
同じようなパターンで苦しい思いをしているのであれば、まず書き出してみてください。

そして、ご自身がその「言葉」にどのような想いを抱くのか、どのような意味を与えているか等、
ご自身に問いかけながら、ご自身の「こころ」と向き合ってみることで、
思わぬ気付きを得て、お気持ちが軽くなることもあります。

ご自身の「心の種」に気づいて癒すことが出来れば、
同じ「傷ついてきた言葉」を聞いても、動揺しないご自身に気づく時も来るのだと思います。

 

 

投稿者プロフィール

藤原 加都江 
藤原 加都江 心理カウンセラー(精神保健福祉士)
豊橋カウンセリングルームの他、近隣地域でのカフェカウンセリングや訪問カウンセリングをご提供しています。またスカイプ等のオンラインカウンセリングにも対応いたします。(H30年に公認心理師試験合格)

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