今月のくれたけ心理相談室のお題の2つ目…

”あなたの「恋」について語ってください”

について、書いてみますね。

 

私は20代の頃はずっと恋愛依存症でした。
そんな私にとっての「恋」は、
「生きるか死ぬか」…
そのくらい、緊張感のあるものでした。

 

一言に恋愛依存症といっても、いろいろな場合があるのだと思うのですが、
きっと多くの方々はご自身の「無価値観」を抱えていることが多いのではないでしょうか。

私の場合はその「無価値観」を補う方法として、「恋愛」を選んでいました。
自分自身を愛することや価値があると思うことが出来なかったので、
誰かに愛してもらうこと、
誰かに必要としてもらうこと…
それらで、「自分には価値がある」という幻想を持ちたかったのだと思います。

恋愛にべったり依存していました。

 

ひどい「無価値観」を抱えていたので、自分の存在を自分で認めることも難しい状態でした。
もしかしたら無価値どころが、自分のことを有害だと思っていたのかもしれません。
だから、誰かに必要とされること、誰かが「わたし」の価値を認めてくれることは、
生きていくために必須なこと、存在していくために必須なことでした。

誰かに必要とされ続けなくてはいけない…
このことは同時に、強い「見捨てられ不安」を生みましたし、
誰かが私の価値を認めてくれることが、生きていくために必要だった「わたし」にとっては、
見捨てられる(=自分の価値を否定される)ことは、生存に関わる危機だと感じていました。

 

そんな風に過去の私にとっては、恋愛が必要だったわけですが…
恋愛が始まった途端に、「見捨てられ不安」が発動するので、
いつもいつも愛されるための「わたし」を演じ続ける必要がありましたし、
ほんの些細なことでも、「嫌われたらどうしよう」
相手のちょっとした言動に「嫌われたかもしれない」と、びくびく怯えて…
まるで時限爆弾を抱えて生きているような状態でした。

恋愛をしていなくても、恋愛をしていても、その頃の私は地獄を見ていたような気がします。

心の中に地獄を見ていたので、
浮気をされたり、暴言を吐かれたり、ひどい振られ方をしたり…
現実でも地獄を見ていたように振り返ります。

 恋愛依存

 

 恋愛に対して甘い思い出がまったくなかった私ですが…
今はとても心穏やかに過ごすことができています。

 

誰かとの関わり…特にパートナーシップのように密度が濃ければ濃いほど、
それは「自分自身との関わり方」をはっきり映す鏡のようなものだと思います。

自分自身を愛すること、価値を認めることが難しい状態では、
パートナーを愛すること、
本当の意味で価値を認めることが出来るような信頼関係を結ぶことは難しいのではないでしょうか。

 

 

「恋」というのは、一方的で部分的で…持続性に欠くものだと考えています。

そういう見方をすると、「愛」は相互的で全体的で、条件には左右されない持続性を持つものだと思います。

誰かと出会って「恋」をして、「愛」に変化していくことが一般的だと想定すると、

自分自身のことを、
どのくらい愛することができているのか、
認めることができているのか、
尊重すること、信頼することができているのか、
ジャッジをすることなく受け入れることができているのか…

自分自身への愛の成熟度が、
生まれたばかりの「恋」から「愛」を育むことが出来るか否かの鍵になるのだと感じています。

 

 

「ひどい恋愛依存症からは脱却した」と言える私ですが、
長い間、抱えてきた考え方の癖などから、時々不安が高まることもあります。

それでも、「心穏やかに過ごす」経験があること、
そして、そんな時にどう自分と向き合えばよいのかということを知っているので、
リバウンドすることなく、今も少しずつ心を軽くし続けることが出来ているのだと思います。

 

それは、どんなに心が乱れても「わたし」を失うことはないという自分への信頼感と、
どんな状態を呈しても本当の「わたし」を見てくれているパートナーや周りの人たちのおかげだと、
感謝しています。