先日、障害者の相談支援業務に関する研修に参加する機会をいただきました。
様々な障害者支援分野で活躍している方々から、お話を聴ける貴重な時間となりました。
その中でも、特に印象に残っていること、そしていくつもの反省点に気づかされるきっかけをいただいたお話がありました。
(内容につきましては、私の解釈を含めて書かせていただいています)

 

その方は、赤ちゃんの頃から障害があり、現在も車いすで生活をされています。
ピアカウンセラーでもあり福祉の第一線で働きながら、ご家庭を築かれています。
お話の主な内容は、支援をする側へのメッセージ…と、私は受け取らせていただきました。

 

エピソードとして…
買い物に行った時に、(30歳を超えた後)
「大丈夫?ちゃんと家に帰れる?」
と、見ず知らずの方に何度も聞かれた時に、
「ここまで来ることができたんだから、帰れるに決まっている」
と、思ったことを笑いながらも話してくださいました。

私は、そのお話を聴いて、胸が痛みました。
また、私も同じようなことをしていることがあるのではないかと、注意しなくてはいけないと思いました。

 

そのエピソードにも関連して、
「対等に接してほしい」
ということも、何度も繰り返し、お話をされていました。

「障害者ー支援者」という関係の中で、きっとお互いに様々な不要なレッテルを貼りあってしまうことがあるのだと思うのです。
障害者は必ず支援が必要…本当?
それはただの思い込みだということを忘れないで居たいと思います。
その思い込みを受け入れた時から、「支援を必要とする人ー支援をする人」…
平等ではない関係性がうまれて、
極端な場合には依存(共依存)とも言えるような関係性ができてしまい、
「本来の素晴らしさ」、「本来の力」を封印してしまうことにもなりかねないのではないのでしょうか。

 

その方の「信じて見守って居てほしい」という言葉もとても心に残っています。

どんな時でもサポートすることが優しさではないこと、お節介である場合も多いこと…。
先のエピソードにもあるように、良かれと思った言葉かけが、
相手を深く傷つけることもあるということ。
「自分がして欲しいことを相手にしなさい。
自分がして欲しくないことを相手にしないようにしなさい」
そんな風に言われるのを聞いたことがありますが…それはちょっと違うような気がします。
誰一人として同じ人間がいないように、相手が自分と同じ価値観を持っているとは限らないのです。

 

私は障害者の相談支援の現場では「支援者」という役割を持つことになります。

目の前の障害のある方に対して、「支援が必要」と感じた時に…
その方のお気持ちは?
私の自己満足ではないのか?
「正しさ」や「常識」を押し付けていないか?
転ばぬ先の杖になっていないか?
成果や結果に重きをおいていないか?
…様々な確認をしながら、
出来る限りニュートラルで対等な関係性の中で、関わっていきたいと思います。

 

福祉の中でよく使われる言葉、「ノーマライゼーション」についても、こんなお話がありました。

今は教育の中で健常者と障害者を分かれている場合が多いけど、
ずっと当たり前に一緒に過ごしていれば、普通とか障害とか分けることも減るのでは?

健常者を見ていて…”健常者って大変だなぁ。生きづらいだろうなぁ”と思うことがある。

(健常者が障害者を支えるとかではなく)
健常者も障害者も生きやすいような世界を一緒に創っていくこと…

それが、ノーマライゼーションなんじゃないかなって思う。

 

私にとっては初めて「ノーマライゼーション」という言葉が腑に落ちたような気がしました。
健常者とか障害者とか、支援者とか…
そういう役割や定義に振り回されることなく、
対等な相手として向き合うこと、尊重し合うこと、支えあうこと…
福祉だってカウンセリングだって、他の人間関係だって…
大切にすることは同じなのだと思います。

 

来年の4月には「障害者差別解消法」が施行されます。
誰もが対等に共同しながら、誰もが幸せな世界を創造していくことができますように…
願ってやみません。

 

最後に、その方が支援者に対して、
「いつも忘れないで障害者と接してほしい」とくださった言葉をご紹介します。
すべての方に与えられた言葉であり、受け取っていただけると嬉しい言葉だと思います。

私自身に対しても、どなたと向かい合った時にも…忘れないで居たいと思います。

 

<人間の本質とは>

①愛し愛される存在

②知性に満ち溢れている存在

③創造性に満ち溢れている存在

④喜びに満ち溢れている存在

⑤力強い存在

「自立生活センターで働くピアカウンセラーのための読本」より

様々な美しい花々